2014年6月1日日曜日

世界の片隅で受け継がれている。


日曜日の朝っぱら。
この場所でひと休みすることにする。

子どもの運動会にも行かず
KING BROTHERSのライブにも行かず
ずっと働いてるんだから
ちょっとくらい
ブログ書いたっていいでしょうよ。

そこまでして
やらなくちゃならないって
なんなんだろうなあって
ふと思うけれど
それは仕事だから。
仕事だからやるのだ。

でもなあ。
なんて思ったりもするけど
やらないと終わらないからね。

忙しいって
言い訳みたいだし
自虐的な自慢みたいにもなるし
あんまり他人様には言いたくない。
それが本当に
どれくらいなのか
関係ないことなのだ。
たいていは理解されないし。
それを説明してもしょうがない。

この話は
それくらいにしておこう。

夕べ
7歳児に目玉焼きをつくってあげた。

ぼくは、目玉焼きが好きだ。

いろいろあるけれど
白味のふちがちょっとこんがりして
黄身がちょうどよくトロリとしている。
これが、理想だ。

容易に、水なんかいれないよ。

弱火を使うんだ。

白味のふちは
油をふたたびちょいと注いで
カリカリさせる。
そう、黄身がちょうどいいタイミングの
少し手前で。
これが大切な仕上げだ。

7歳児も
このタイプの
目玉焼きが好きだと言った。

そして、
ご飯の上にのせてくれと言った。

ぼくは、
目玉焼きのせご飯が好きだ。

パンクロックよりも好きだ。

目玉焼き丼。
小じゃれるなら
ワンプレートごはんだ。

大根の葉とかつお節を
炒ったやつがあったから
もちろんそれも添える。
ご飯と目玉焼きの間に。

気が向いたときは
みじん切りのネギを
少し多めの油で焼き上げ
しんなりなってきたあたりで
火をとめたフライパンに
しょう油を注ぐ。
そして、
ご飯にのった目玉焼きに
ジュッとやる。
かつお節が
時間を無視したゆれ方をする。

この一連の動きは素早い。
ぼくのたいていの日常のなかで
最も機敏な場面だと思う。

まあそんなことは
どうでもいいんだ。

目玉焼きをご飯にのせてくれと
7歳児が言ったので
聞くと、それが好きだと答える。

自分が好きなものを
好きだと言う人がいるって
いいもんだなあと思った。

分かちあうためになんか
やってきてないんだけど
たまたまそうだというのがいい。

でもま、つまりは
僕がつくったのを食べて
好きになったんだろうけど。

自分の場合を振り返ったら
父親がご飯に目玉焼きをのせていた。
父親のそれは
もっと大ざっぱで
IQの低さまるだしだったけど
もっとバカだから
すぐにまねして食べたんだっけ。

今度、父親に
目玉焼きの好みを聞いてみよう。
忘れそうだけど。

世界の片隅で
こんなことが受け継がれている。
どうでもいいくらいに感慨深い。

しかし、ふと思う。

何も言わないのに
目玉焼きを自分の理想通りに
さらりとつくってくれる娘がいたら
大きくなった7歳児は
抱かれてもいい気分になるのだろう。

残念ながら
父はそういう娘には
出会ったことがないけれど、
おそらく容易に想像ができる。

言っておきたい。
それは、それだ。

それだけで決めちゃいけない。
すべてを決めるに
足りることであるかもしれないが
それだけじゃないことも
ちゃんと大事なのだよと。

まあ、
抱かれるのはいいとしても
ほら、
結婚となると
いろいろあるからなと。


長くなったから
このへんにしておこう。


でもあれだね
調理のこと細かくかくのって
なんか、エロ小説みたいだね。

まあいいや。
仕事しよう。







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